プロフィール~魂と愛の使命に生きる人生へ

はじめまして。「愛と魂の護心力」ナビゲーターのMICHIOです。どん底の青少年時代から、海外での修行、そして皆さまをナビゲートできるようになるまでの半生をご紹介します。

プロローグ

わたしは、ごく一般的な家庭に生まれました。 中学校教師の父、パートに出ている母、四つ上の兄。 公団アパートの3階に住んでいました

わたしは内向的な子供でした。幼稚園の頃には母が家を空けることが多く、留守番をしながら家で一人遊びをする毎日。「あなたは手がかからないから、お母さん、助かる~」とよく褒められていました。

でも内心「さびしい」と思っていたのを覚えています

さみしい時 なぐさめてくれた小高いお山

さびしい時は、お茶の間から見える小高い山をながめていました。そうすると不思議と見守られている気がして心が落ち着くのでした

このお山が 私の「霊的な守り神様」 であったことに気づくのは、ずっと後のことです

野球をはじめ活発な子に

小学4年生の頃、父親にすすめられ野球を始めました。それからは友達も増え、体を鍛えることで性格も活発になり幸せな少年時代でした 

心の違和感と強迫観念を感じ始めた13歳

そんな自信をつけ始めた13歳の秋、父親が家を建て行政区がふたつ隣の郊外に引っ越しました

そこは、いわゆるニュータウン。街並みは美しく、静かで、住みやすそうなところ

新しい家で自分の部屋ももらい

「こんな風に部屋を飾ろう」
「本屋さんがあった。漫画を買おう」
「あの公園を探検しよう」などなど

希望に胸を膨らませる新生活のスタートでしたが、

「この街って静かすぎるし寒いな・・」

子どもながらに、そう感じました

新しい土地に慣れようと、
家の周りを散策した時に気づいたのが

遺跡がやたら多い

ということ


古墳やら、祭祀場跡やら、墓地跡やら・・弥生~古墳時代のものだそうです。埋蔵文化財センターの人たちが発掘を進めていました

苦難の始まり

新しい家に住みはじめ1年経ち、もうすぐ中学校を卒業しようというころから、微妙に気持ちの違和感を覚え始めました

家の中で白いモヤのようなものを視ることも・・・

これから私には20年近くにわたる苦難が始まるのですが、それを克服した後に調査し、行き着いたその苦難の

原因・・それは、

「新居から30メートルと離れていない緑の丘が、じつは古代の戦死者の墓地であり(当時は未発掘)、それら戦死者の未成仏霊(怨念)が、未熟で霊的なものに無抵抗な子どもの私にすがり憑依してきた」

ということだったのです

(後に私が健康を取り戻したのとほぼ同時期に発掘され、槍先がわき腹に刺さったままの人骨や首が切り落とされた状態で埋葬された人骨 など複数の戦死者が発見された)

進学高校に合格し喜んだのもつかの間。言いようのない【心の違和感や強迫観念】にさいなまれ始めました

「俺の手はけがれている」

そんな思いが頭から離れないようになり、潔癖症が発症

学校から帰ると洗面所に直行し手を洗い続けます。3時間です
そのあと足を3時間洗います

ギラギラした目でこすり合わせる手や足を凝視していました
精神がすり減っていくのが自分でもわかります

「なんで俺はこんなことしているんだ?」

しかし、手を洗うことが素晴らしいことのような気もし、満足感や達成感を感じる自分もいます

「変だ!でも、洗わなければならない」

自分の中に自分が二人いるような、気持ち悪い感じ

夕食の時間になっても手を洗い続けるので

「いい加減にしろ!」

と父親に怒鳴られます

こっちだって

「こんなことしたくない」

なのに洗い続けてしまうのです

「何かに操られている?」

そんな気がしました

そのほかの症状

□出かけるとき電源オフや窓・玄関のカギを何十分も何回も確認してしまう【強迫観念】

□「自分は生きている価値がない」と自責を繰り返す【うつ症状】

□周囲の人の言動に過敏に反応しておびえてしまう【HSP】

□楽しそうにしている級友の輪をぶち壊したくなる衝動にかられ、そんな自分に自己嫌悪して落ち込む【アダルトチルドレン】

家族の無理解

親兄弟も自身に そんな経験がないため、まったく理解を示してくれません
「変わった子だ・・」ぐらいの認識

最初のうちは、怒鳴ったりして私の奇行をやめさせようとしましたが、頑として手洗いをやめないことにあきれて「好きにしなさい」とさじを投げられました

「こんなことしたくないのに」
「本当はたすけてほしいのに・・」「見捨てられた」

私は心を閉ざしました

孤独な闘い

さらに悪いことに、私は自分の心の状態を「隠そう」としたのです

奇抜な行動で人を笑わせたり

過剰に謙虚にふるまったり・・・

自分を傷つけ続けました

 

 

毎日 心も体も疲れ果てて、ひとつの力も残らない状態に・・

でも、【心の違和感と強迫観念】はせまって来ます

ひとりで何とかするしかありません

心の悪循環にはまる

それまでの短い人生での

唯一の成功体験は、

体を鍛えること

それに執着しました

武道をはじめ、【心の違和感と強迫観念】を克服するにはこれしかない!と、無味乾燥の基礎練習を悲しいくらい繰り返し、自分を追い込みました。嘔吐し、体が震えだすぐらいに・・・

しかし、心が軽くなるどころか、

「きつい練習をしなければならない」
   ⇓   ⇑
「練習がコワイ」
   ⇓   ⇑
「今のままじゃダメだ」 

の悪循環にはまってしまい、とうとう感情すらなくなったかのようでした

10年以上なくならない【心の違和感と強迫観念】

高校卒業、専門学校卒業、就職・・・いつまでたっても【心の違和感と強迫観念】はなくなりません

このころには、幽霊のビジョンをみるようになったり、突発的に怒りの感情を爆発させることが増えてきました

そんな時、自分の顔が変わるのが感じられます。表情が変わるレベルではなく『顔』が変わるのです

もう、自分の中でいったい何が起こっているのか、まったくわかりません 

「何のために生きているのか?」 

自問する日々でした

ワラをもすがる思いで、現代医学・整体・自己啓発セミナー・哲学者・・ほうぼう訪ね歩きましたが、どこも納得できる答えは返って来ず

「またダメだったか」

と、絶望の日々

職場でもよい人間関係をつくることができず職場を転々

武道はとうに挫折していました

「遠くに行けば何か変わるかも・・」と一人旅を続けたこともありました

しかし【恐れ】はどこまでもついてきます

小学校教師になる

年齢も25歳になっていました。「どうしてこんなことになってしまったのか・・・」そう自問し、これまでの人生をさかのぼって思い出してみました

そして、「そうだ!子どもの頃は学校の先生になりたかったんだ」と思い出しました。ならば「教師になって子供たちのために尽くせば、自分も救われるのではないか?」

そう思い、すぐに受験予備校に入学し、昼間は働きながら、夜と休日は予備校で受験勉強の日々を1年間続け、教員過程のある短期大学に合格。2年後、念願の小学校教師になりました

「この子たちのためなら何だってやるぞ!」

そして、また絶望

理想に燃え早朝から職員室の最後の一人になるまで働いてもまったく苦にならず「天職だ」とも感じました

が、先輩教師たちの尊敬できない姿を見ることに・・職員室に〔いじめ〕があるのです! 

なんども抗議し、味方をしてくれる先生もいましたが、多勢に無勢・・何も変えることはできず、忘れかけていた【心の違和感と強迫観念】がよみがえって・・「これでは自分どころか、子どもたちも救われない」絶望し、5年で退職

「ああ・・、もう、この辺でいいだろう・・・生きること、がんばることに・・疲れた」 

力なく、遠くを眺める日々が続きました。この時、すでに33歳。若くもありません。ひとつの力も残っていない状態・・

突然の『光』~老師との出会い~

出会いは突然です。学生の頃から読んでいた武道の雑誌で

台湾の武術家の老師が来日講習会

という記事を目にしたのです

「これで最後だ・・この老師に会ってみて何も感じなかったら、人生をやめよう」

と、あの世を見据えた境地で会いにいきました。これまで期待を裏切られてばかりだったので

「どうせ今度も・・・」

というあきらめもありました

冬だったと思います

地元福岡から会場である京都へ列車でゆき、その老武術家に初めて会いました

長身、白髪 口元が締まっていて凛々しい雰囲気。紹介では御年75歳ということ ~弟子をひとり伴っています

「どうせ最後だ!どうなってもいい!」

と開き直り、心得のあった私は、本気でその老武術家にかかってゆきました

「あっ!」

と思った時には、天井が自分の足元に見え、次の瞬間は床に倒されていました。何をされたのかわかりません

「ならば今度は蹴りだ!」
「足払いだ」
「不意打ちだ」
と、挑戦しましたが結果は同じ

こちらが身動きをとれなくなって

「まいった!」

しかも、老武術家はニコニコとほほ笑み「大丈夫か?」と抱き起してくれます

なんという優しい笑顔

なんという圧倒的な強さ

コテンパンにやっつけられたのに、私の気持ちには何とも言えない気持ちが残りました

「なんて、すがすがしいんだ!」

「この老師についてゆきたい!」

「でも、本気で殴りに行ったり失礼なことをしちゃったからなぁ・・嫌われちゃったかも・・」ともじもじしていると、

何と!老師の方から近づいてきて名刺を差し出し、

「台湾においで」

というのです
あの時の光景は、一生忘れることができません

老師は、武術家として有名でしたが、チャイナ道教を習得した道士でもあったのです。

日本ではなじみがありませんが、イメージでいうとキョンシー映画でキョンシーと戦っているのが道士です

老師は不思議なオーラをまとっていて、そばにいるだけで心がふしぎと落ち着き悩みが消えるのが感じられました

日本を去り、台湾へ

老師に導かれるまま台湾へ渡り、まったく異世界・異文化での生活がはじまりました

 毎朝3時半から老師について近くの公園へゆき(まだ真っ暗です)

〇体を活性化させる『体術』『呼吸法』

〇昼、夜の『古武術』

  いつも二人きりの時に突然始まる
『治療術』の伝授・・・

文字通り「三歩下がって師の影を踏まず」の師弟関係です。

すると間もなく、心に巣くっていた【心の違和感と強迫観念】がみるみる消えてなくなるのが感じられたのです!

「これは、いったい何なんだ!?」

魔を払う道教の秘剣

高道生(こうどうせい)老師は『台北の猛将』と呼ばれ表向き武術家として有名でしたが、道教の道士であったことを知る人は少なく、入室弟子と二人きりの時だけに兵法・治療術・薬術・処世術の秘伝を口伝するのです。

老師に師事し一心不乱に学び続け10年が経とうとしたある日、突然呼び出され、

「よくがんばった。お前ほどできるやつはほかの弟子にはいない」

と皆伝の言葉をいただき、また「日本へ戻り、大成せよ」とも・・・

そして、魔を払う道教の秘剣

八仙剣(はっせんけん)

を伝授され、また老師の老師から受け継がれる破魔の家宝「桃木の麗剣」の拝見を許されました

私はだれなのか?

老師様から免許皆伝の言葉をいただいてからは、目標を達成した充実感で満たされていました

それと同時に「私はいったい誰なのか?」という疑問が頭をよぎるようになりました

異国での生活には、カルチャーショックを受けることも多々ありました

「このまま、台湾に住み続けるという道もある 台湾人となるのか?」

そう、ぼんやりと考えていたある夜、突然 目の前に大きな鳥居のビジョンがフラッシュしました

「そうだ、俺は日本人だ!」

でも、日本って、いったいなんだ? パスポートのこの模様は、なんなんだ!?

まさか老師は、このことをわかっていて「日本へ帰り・・」と言ったのか?

わたしは帰国を決意しました

古神道の師匠

図書館で偶然、目に留まった書籍・・

帰国してからは「私はいったい誰なのか? 本当に日本人なのか?」の答えを探し、

〇三内丸山遺跡
〇吉野ケ里遺跡
〇皇居
〇大小の神社

をフィールドワークし、地元にいるときは図書館で研究、という日々を送りました

そんな中、引き寄せられるように「目が合った」本がありました

「古神道の秘儀」

全ての疑問を解き明かしてくれる

渡辺勝義先生との出会いです

古神道の指導を受ける中で「なぜ人は精神を病み、どうすれば回復するのか」を理解し、以下のものを受け継ぎました

一、悪鬼から身を守る 五情五術

二、幽の祓(はらい)三法

三、人生を占う 九星気学

これらは、心を清く正しく保ち、幸せな人生を送る古代から伝わるメソッドです

情報空間操作との出会い 

帰国後のある時、もともと小学校教師だった私は「心理カウンセリングを学びなおそう」と思い立ちました

カウンセリングを学ぶ中で『情報空間操作』というものに出会いました

「最新の量子力学をもとに人の潜在意識を書き換える」

というものです

それは、これまで身につけてきた 道教のメソッド、古神道の祈りと驚くほど共通したものでした

もちろん『情報空間操作』もすべて学び、道教、古神道とともにエッセンスを抽出し、心と精神の問題をかかえる人が、どなたでも幸せな人生にスライドできるようシンプルにまとめ「愛と魂の護身力」最強メソッド と名付けました

あなたも魂の望むとおりに生きることができる!

目に見えない力に振り回されて、魂の叫びは【心の違和感や不安感】によって押さえつけられ、なりたい自分になれず、あの世を身近に感じていた私は、不思議なご縁によって助けられ、力をいただきました

今、過去の私と同じように【心の違和感や不安感】に苦しむ人たちを「魂の望むとおりに生きる」「なりたい自分になれる」ようにお手伝いするのは、私の『使命』であり、二人の恩人への恩返しなのです

本当に大切なものとは「秘して語らず」

学校でもネットでも学ぶことはできません

しかし、あなたが望めば必ず道はひらけます

誰にだって『なりたい自分になれる』のです

それが、人生なのです

エピローグ ~二人の先生~

帰国して半年後に古神道の先生の著作に出会い、手紙でやり取りし、お会いすることになりました

第一印象は
清潔感のある初老の紳士

宗教臭さは全くなく、大学教授であり、神社庁明階位神職とのこと

私にとって、目からうろこが取れるような話を二時間ほどしてくださり、最後に

「○○山へ行きなさい。そこに九州総国御魂の神様が鎮まっていらっしゃいます」

と言われました

その山こそ、幼少期に毎日ながめていた、あの小高いお山だったのです。「引っ越しするまでお山の神様が毎日見守ってくださっていたのだな・・」と確信しました。そして、「引っ越してしまったから守護が受けられなくなってしまったのか・・・」とも

古神道の秘儀

数年間、〇〇山への参拝登山を続ていたある日、中腹のお社の本殿の中に人影がありました

見たことがあるような背中・・久しぶりに会う先生でした

「ああ、あなたか?」と私に気づいてくださり、しばし歓談

『先生はなぜここに?』という疑問は聞かずにいました

そのような偶然がもう一度あり、その時はじめて「このお社での帰神(かみがかり)のお稽古がある」ということ、そして次回からのお稽古に参加が許されました

初めて参加する帰神(かみがかり)のお稽古
あの闇夜での光景は、今でも忘れることができません

先生からは「これは御皇室のみに伝わっていた秘儀なので、絶対人に話してはいけないよ」と諭され、また別の日に、これまた「絶対人に見せないように」と九星気学の秘伝書をいただきました

台湾の老師とのエピソード

台湾の老師とはじめて出会ったのは、

武術の講習会でした

心得のあった私は、老師の実力を試そうと本気でゆきました

「あっ」というまに倒され

そんな私に老師は

笑顔で手を差し伸べ起こしてくれました

【心の不安と違和感】のせいで

髪はボサボサ、変てこな身なりの私を

老師は嫌がりもせず、かわいがってくれ

よく一緒にお酒を飲んで励ましてくれました

はじめて、台湾へ老師に会いに行った時

当然ですがホテルを予約していました

「金がかかるだろ? うちに来い」

何のためらいもなく

ほとんど見ず知らずの私を

自宅に招き入れて2か月も住まわせてくれました

毎日三食、老師自らの手料理を山のようにふるまってくれ、

「食え!もっと食え! うまいか? わっはっは」

まだ授業料も払っていない外国人の私を養ってくれました

目が合うと、いつも目じりにシワをよせ微笑んでくれます

こちらが何か言おうとすると「どうした?」身を乗り出して耳を傾けてくれます

異国での暮らしでホームシックになりました

玄関先の階段に座り遠くを見ていると帰宅してきた老師

無言で私の隣に腰かけ、長い時間いっしょにいてくれました

稽古に励む私を見る目はきびしかったのを覚えています

でも、一度も怒られたことはなく、

何かを習得するたびに

「すばらしい!いいぞ! おまえはスゴイ!」

いつものホッとするような

かわいい笑顔で親指を立ててくれるのです

老師はお酒が好きでした

わたしがふらりと応接室に入ると

「そこに酒があるぞ! 飲め!飲め!」
「ワシと飲むか?よしよし、わっはっは!」

目じりをたらし世間話をします

そんな老師は、

国軍の将軍と親しく現役軍人が敬礼する栄誉国民でした

免許皆伝の言葉を伝えた後、つづけて老師はつぶやきました

「お前には、大切なことは全てワシが直接教えた。日本へ帰り大成せよ」

わたしが台湾を去った1か月後、老師は天に召されました

PS:老師様

老師様、あなたの弟子は今、あなたと同じ「なりたい自分になれない=天命を生きられず苦しむ人」を導く仕事をしています。老師様に頂いたこの命、あなたと同じように燃やしてゆきます。

あなたの優しい笑顔を時折、夢にみます。

あなたが私の心に与えてくださったあたたかな光は、

多くの人の心をも包んでいます。

そして、「だれもが、なりたい自分になれる、明るい社会を創ってゆく・・・」

このことが老師様から私に託された〔想い〕なのですね。

この〔想い〕が広がってゆけば、こころ豊かな世の中になるでしょう。私は、迷いませぬ。諦めませぬ。これが私の使命なのです。

高道生老師様 そして、渡辺先生

・・・今日もあなたの弟子の弟子になってくれるであろう若者が訪ねてきましたよ。